Search
Search Menu
チャペルの紹介

チャペルの変遷と明治学院の歩み

明治学院チャペルのはじまりは寺にあり

1859(安政6)~1862(文久2)年
ヘボン夫妻はS.R.ブラウン夫妻と神奈川の成仏寺を住まい(宣教師館)として借り、共同で使用。広さは十分あったが、畳や襖などの部屋を使いやすいようにずいぶんと改造したようである。この成仏寺について書簡には「早速家庭礼拝用の祭壇を作った。毎日の楽しい交わりにはブラウン博士夫妻、時には合衆国の軍艦ポーハタン号の従軍牧師ウッド師、信者の海軍士官や水兵たち、それに横浜の商人の中の信者も加わることがあった。古い寺はこのようにして、神の家に変えられていった」とある。仏像や仏具を片づけ自分たちの“礼拝所”を設けたのだ。明治学院のチャペルの歴史はこの仏教寺院での家庭礼拝からはじまった。この頃からヘボン博士は、医療奉仕を始め、後に近くの宗興寺で施療所を開き、評判はすぐに広まっていった。

居留地39番地の”施療所並に礼拝堂”

1863(文久3)年~
1862(文久2)年の年の瀬に神奈川成仏寺から横浜外国人居留地39番地へ移転。敷地内に住居(宣教師館)と“施療所並に礼拝堂”を建築。本格的な医療活動が可能になり、施療所には早朝から大勢の人が並んだ。また、1861年に教師経験のあるクララ夫人が日本語教師と使用人の息子に英語を教え始め、1863年秋には英学塾を開いた。施療所の一室を教室とし、多忙なヘボン博士に代わりクララ夫人が教師を務めた。「今や妻は横浜の名物であります」と書簡にあり、好評な様子がうかがえる。
生徒数が増えると、ヘボン博士や宣教師仲間も協力し地理や聖書も教えた。これが明治学院の源流“ヘボン塾”である。クリスマスには日本人と居留地の外国人の子供たちが一緒に賛美歌を歌い楽しく過ごしたという。

ヘボン邸
右の三角屋根がヘボン邸。この裏に施療所並に礼拝堂がある。

築地に移転・発展 明治学院の創立

1880(明治13年)
ヘボン塾は、時代をリードする優秀な人材を輩出して日本の近代化へ大きく貢献していくようになる。1870(明治3)年には、女子教育に力を注いだクララ夫人の意志を継ぎ、M.E.キダーがフェリス女学院を設立。1873(明治6)年に切支丹禁制の高札がはずされるとヘボン塾は英学塾同様に神学塾の色も濃くなっていった。この頃、ヘボン博士は、聖書翻訳事業が多忙になってきたため、ヘボン塾をJ.C.バラに譲り“バラ学校”と呼ばれるようになった。1880(明治13)年には、バラ学校は築地へ移転し築地大学校と改称。さらに横浜の先志学校と合流し、東京一致英和学校に。1886(明治19)年には、アメリカとスコットランドの教会が合同で設立した日本人伝道者育成のための東京一致神学校と合併。同年“明治学院”の創立が決議され、翌年には設置許可を得て白金に移転した。

東京一致神学校のイメージ
東京一致神学校

白金の丘で

1887(明治20)年~
白金校地には、普通学部校舎や寄宿舎が建てられ、サンダム館、ヘボン館と建築資金の主たる献金者にちなんで命名された。サンダム館は校舎兼講堂であり、礼拝はこの講堂で行われていた。
1889(明治22)年には築地より一部校舎を移築し、ハリス館となる。翌年には神学部校舎兼図書館として、現在の記念館も建設された。

サンダム館
サンダム館

待ち望んだ専用礼拝堂

1903(明治36)~1909(明治42年)
1903(明治36)年に学院の念願でもあった専用の礼拝堂が建設された。「礼拝堂建設費調達のために」と自らの土地と邸宅を明治学院に寄贈した宣教師E.R.ミラーにちなみ“ミラー記念礼拝堂”と命名。しかしこの礼拝堂は竣工わずか1年数カ月後の1905(明治38)年3月の地震で破損し、復旧工事をするも1909(明治42)年に再び地震で大破し使用不可能となってしまった。

ミラー記念館礼拝堂
ミラー記念館礼拝堂

火災・礼拝の空間を失う

1914(大正3)年
ミラー記念礼拝堂に代わりサンダム館の講堂が以前のように礼拝の場として使用されていたが、今度はこのサンダム館が1914(大正3)年に火災で全焼。明治学院は礼拝のための空間を失ってしまった。

新礼拝堂 白金チャペルの誕生

1916(大正5)年
1915(大正4)年に新たな礼拝堂(現在の白金チャペル)建設を決定。新礼拝堂の設計は、日本で数多くの西洋建築を手がけたW.M.ヴォーリズ。取り壊されたミラー記念礼拝堂の解体材を一部再利用し7カ月ほどで竣工、1916(大正5)年3月27日には卒業式を兼ねた献堂式が行われた。

白金校地を見守り続け97年

~2013(平成25)年
白金チャペルは、もうすぐ献堂100年。その間にこれまでのどの礼拝空間よりも長く様々な明治学院の歴史を見つめてきた。
1923(大正12)年には関東大震災、1931(昭和6)年には学生の増加にあわせ、前方の東西袖廊の拡張工事で現在の十字架型になった。その後は戦争に伴う影響や学生紛争の舞台となった時も。
1966(昭和41)年には、ドイツ製のパイプオルガンが正面に設置され約40年間使用。1989(平成1)年には、東京都港区有形文化財に指定された。2006(平成18)年の礼拝堂耐震修復工事にあわせ現在のパイプオルガンが2009(平成21)年に完成。バッハの時代の音色が再現されている。
そして現在も、高等学校・大学の礼拝や様々な式典、講演会、コンサートの会場として広く用いられている。
白金チャペルは、これからも明治学院を見守り続けてくれるだろう。

現在の白金チャペル
現在の白金チャペル

ページの先頭へ