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チャペルの紹介

明治学院の創始者・創成期の人々

2013年、明治学院は創立150周年を迎えました。社会への貢献を目指した宣教師たちのキリスト教の教えは、明治学院建学の精神として、今も、そしてこれからも引き継がれていきます。

154年前・明治学院の創始者来る

ヘボン博士の写真ヘボン博士(Hepburn, James Curtis)1815~1911
1859(安政6)年来日。
アメリカ・ペンシルバニア州出身。宣教医師。
33年間日本に在住。医師としてだけでなく、その活動は多岐にわたるマルチ人間であった。
33年間に200通以上のミッションレポートを送り続けた。白金校舎中央の研究棟は「ヘボン館」と命名されている。

ヘボン博士、日本での功績

黒船・ペリー提督の来航から6年後、明治学院の創始者ジェームズ・カーティス・ヘップバーン博士と妻クララが神奈川に到着した。開業医をしていたニューヨークからはるばる日本へ来た理由、それは「キリスト教の外国伝道」。少年の頃からの夢であり使命感を抱く東洋の国への宣教医を米国長老派海外伝道協会へ志願。「キリストの福音を知らずに、病気で苦しむ人々のために」と。周囲からの反対をよそにその情熱は熱く、念願叶っての来日だった。
今から154年前の1859年10月18日のことである。外国人は疎まれていた時代において、ヘップバーン博士は、その活動が讃えられ『平文(ヘボン)さん』と呼ばれ日本人に親しまれる存在になっていった。
ヘボン博士と同時期に明治学院のゆかりの人物となるS.R.ブラウン、G.H.F.フルベッキも来日。ヘボンを含むこの3人は日本近代初期のプロテスタント宣教師である。

クララ夫人の写真
クララ夫人
(Clara M. Leete)
1818~1906
ヘボン博士の妻。ノースカロライナ州出身。外国伝道を目指すヘボン博士と同じ考えを持ち合わせ、周囲が誰一人賛成しなかった日本での伝道を熱心に支持し共に歩んだ。
ヘボン塾の最初の教師となり、英語を担当した。彼女の英語教育は厳しく、正確な発音を教えるということで定評があった。

この時代のヘボン博士のような外国人のおかげで現代の豊かな日本があるといっても過言ではありません。

明治学院創成期の人々

ヘボンと共に新約聖書翻訳に尽力

S.R.ブラウンの写真

S.R.ブラウン-Brown, Samuel Robbins- 1810~1880

1859年、ヘボンの半月後に来日。牧師。宣教師。
聖書翻訳を第一と考えており、「ヘボン、ブラウン共訳・新約聖書」は後の各派共同聖書翻訳事業へとつながる。英学塾から出発したブラウン塾は、神学塾へと変わり、後年、東京一致神学校に合流し明治学院の源流となる。横浜校舎にある「ブラウン館」にその名が残る。

日本のキリスト教史、近代史、教育史に貢献

G.H.F. フルベッキの写真

G.H.F. フルベッキ-Verbeck, Guido Herman Fridolin- 1830~1890

1859年、ブラウンと共に来日。宣教師。
佐賀藩の致遠館で大隈重信、福島種臣など多くの指導者を育成したことから明治政府に登用され、太政官顧問になった。
官を辞し東京一致神学校や学習院の講師となり、一時帰国するが、翌年宣教師本来の仕事に復帰、聖書翻訳事業の一員となる。1886年明治学院創立に際し、理事、神学部教授、理事長など歴任した。

ヘボン塾の後継“バラ学校”

S.R.ブラウンの写真

J.C. バラ-Ballagh, John Craig- 1842~1920

1872年、実兄J.H. バラの招きで来日。宣教師。
横浜高島学校で英語、聖書の教師をしていた。1875年に居留地のヘボン塾を譲りうけ“バラ学校”と呼ばれるようになった。1880年には築地大学校の校長となり後に明治学院の教授になり天文学、簿記学を教えた。1920年に昇天、夫人レベッカと共に瑞聖寺に眠る。

公平無私・寛容の人

いぶか かじのすけの写真

井深梶之助-いぶか かじのすけ- 1854~1940

牧師、教育者。会津藩士。
戊辰戦争後、西洋学を学ぶべく横浜ブラウン塾入塾。19歳で受洗。東京一致神学校に学ぶ。明治学院創立にあたり、神学部教授として英文学を講じた。36歳でアメリカ留学、帰国後の1891年第2代明治学院総理就任、その後30年間総理を勤め明治学院発展の基礎づくりに貢献した。

陰の功労者

インブリーの写真

インブリー-Imbrie, Willam- 1845~1928

1875年来日。牧師。宣教師。
1877年明治学院前身である東京一致神学校の専任教授に就任。明治学院になってからも教授や理事を務め、学院のために尽力した。白金校舎記念館と本館の間にある洋館はインブリー博士が永年住居したことから、インブリー館(国の重要文化財)と命名されている。

建築にも造詣が深い宣教師

ランディスの写真

ランディス-Landis, Henry Mohr- 1857~1921

1888年来日。宣教師。明治学院教授。
ラテン語、ギリシャ語、フランス語、ドイツ語などを駆使した哲学の講義を行い、多くの学生の向学心を刺激し、尊敬された。建築の素養があり、1890年に建築された神学部兼図書館(現記念館・港区有形文化財)を設計したと推定される。昇天後はJ.C.バラと同様、瑞聖寺に眠る。

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